今年も残すところあと5日となった。
12月ならではの忙しさ、慌ただしさに
息つく暇もなく
日々が飛ぶように過ぎる。
師も走る12月とはよく言ったものだ。
街は音楽とイルミネーションで溢れ
人々が賑やかに忙しく行き交う。
そんな12月の、いわば「動」の部分の反面で
忙しさと緊張感が日毎に増すにつれ
生活から余分なものが削ぎ落とされ
それに伴い自身まで浄化されていくような心持ちになり
いろいろなことが見えてくる。
12月の「静」の部分とでもいったものか。
新しい年を迎えるにあたり
なんとも厳粛な気持ちになってゆくものである。
遥か昔に亡くなった自分の祖父は
57歳の時に倒れ、亡くなるまでの16年間寝たきりだった。
おぼろげな記憶の中で
父母や幼少の自分に、祖父が言葉にならない音で語りかけ
祖母が通訳してくれていた覚えがあるが、
できなくなったのか
それともあきらめてしまったのか
いつからか祖父は話すこともしなくなった。
祖父の16年間を今になって考える。
今日という日はあたり前ではなく
今日出逢える人もまた
かけがえのない今日を生きている
自身が今生きていること
相対している相手が今生きていること
共に働ける仲間がいること
すべてに感謝する。

12月ならではの忙しさ、慌ただしさに
息つく暇もなく
日々が飛ぶように過ぎる。
師も走る12月とはよく言ったものだ。
街は音楽とイルミネーションで溢れ
人々が賑やかに忙しく行き交う。
そんな12月の、いわば「動」の部分の反面で
忙しさと緊張感が日毎に増すにつれ
生活から余分なものが削ぎ落とされ
それに伴い自身まで浄化されていくような心持ちになり
いろいろなことが見えてくる。
12月の「静」の部分とでもいったものか。
新しい年を迎えるにあたり
なんとも厳粛な気持ちになってゆくものである。
遥か昔に亡くなった自分の祖父は
57歳の時に倒れ、亡くなるまでの16年間寝たきりだった。
おぼろげな記憶の中で
父母や幼少の自分に、祖父が言葉にならない音で語りかけ
祖母が通訳してくれていた覚えがあるが、
できなくなったのか
それともあきらめてしまったのか
いつからか祖父は話すこともしなくなった。
祖父の16年間を今になって考える。
今日という日はあたり前ではなく
今日出逢える人もまた
かけがえのない今日を生きている
自身が今生きていること
相対している相手が今生きていること
共に働ける仲間がいること
すべてに感謝する。

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