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日本ワークス K'S Room
日本ワークス Team K のブログ
覚悟
頭で解っていることを「理解」と呼び
行動を伴うのが「自覚」。
自覚し行動し続けることによりそれは「信念」となる。

理解から信念まで深めるには努力も必然も偶然も含め、
順次段階と時間が必要だが
いつの時代も人生を生きる上で、信念は自己の助けになる。

コロナウィルスによる大きな混乱を経て
世の中は大きく変わりつつある。

日本ではまだ、感染者の増減に一喜一憂する日々で
先の見えない闘いが続いている一方、
世界では、見切り発車の感は否めないといえど、経済活動再開の情報も流れてきている。

この未曾有の危機を世界が乗り越えたとき、人類社会全体は更に強くなるだろう。
科学技術的な事はもちろん、コロナウィルスによる甚大な被害や混乱を教訓とし、
更なる革新的なシステムを各企業が開発・導入し、投資家達もそれを支持するはずだ。

美しい国

対して個々人はどうか。
終息した際には再び自らの足で立ち上がり、生活を立て直し、
大きく変わる社会に適合してゆく柔軟さを持たなければならない。
しかもその全てを同時に、且つ早急に。

世の中は混乱が起こる前の世界には戻らない。
非常事態として導入された仕組みのうち、
危機が去ってもそのまま定着するものも多々あるはずだ。

個々人の大きな闘いの始まりはまだこの先だ。
「ステイホーム」は、来たるべき闘いに向け、
自己の鋭気を養う時間なのだと捉え、備えるのが賢明だろう。

次のステージへ
新型コロナウィルス感染拡大防止のため
不要不急の外出を控えるよう各地で外出自粛要請がある中
気にせず通常と変わらない行動をとる若者がいる事を
批判的にとりあげた報道を目にした。

その報道が事実かどうか、
事実だとして公正な報道かどうかはさておき

しばしば若さの象徴としてあげられる
根拠のない自信や、
死・病気に対する非現実感から来る明るい無頓着・無鉄砲さを
真正面から完全否定できる大人がどれだけいることか。

程度の差こそあれ、
皆何かしら思い当たる節があるだろう。

もしかすると今の若者達の方が自分達の若い時に比べるとまだ分別があるのでは?
内心そう思う人も、中にはいるのではないだろうか。

桜もさぞ無念であろう

成熟社会を生きる若い世代では
ミレニアル世代を中心に、物を持たない若者が増えている。

デジタル技術の革新により
シェアリングサービスや個人間での取引が容易になり、
物を持つ必要性が薄れたのだという。

大量生産・大量消費の成長社会で、
物を持つことを目指した我々の世代とは
一見真逆のようだ。

しかし元々我々が渇望したのは
物の向こうにある豊かさであり、

人々の努力により物質的に豊かな時代になった今、
「物」のステージを超えたさらなる豊かさを求め
経験や知識を増やし個性を伸ばしてゆく。

「モノ」から「コト」へ
それは若い世代だけではないだろう。

時々意図的に世代の違いを煽るような表現のものがあるが
老いも若きも時代や方法は違えど
目指す方向にそう大きな違いはないのだ。
そういうことだろう。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

我々の行く先は
人生100年時代という

昔と比べ栄養状態も良くなり
医療も発達し、文明が進化し発展した恩恵を受けられる時代だ

だが寿命だけが延びるのでは意味がない

本当の意味で人生100年時代を過ごすために
我々は色々なことを歳のせいにしてはいけない

幸いにしてわが国には見習うべき多くの方々が存在する

アプリ「hinadan」を開発し、世界最高齢のプログラマーとして話題になった若宮正子氏がパソコンを始めたのは60歳を過ぎてからだという

ちょっと凄過ぎて真似はできないが
昨年のノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏は、
ノーベル賞も通過点で、もう1巡研究できると仰っていたそうだ

人生は奥深い


人間は精神的な生き物であるが、原始的本能的な部分ももちろん持ち合わせており
どちらが強く作用するかは本人次第だ
子供の時分は大人達によって教育を受け、行き過ぎた怠惰な行動は注意され、向上するよう導きの手があるが

大人になると全ては自分次第
努力するも本能のまま怠惰に任せるも本人次第だ

意識の違いは長い年月を経ると大きな差となって現れる
何十年にもなると、別の生き物が出来上がるだろう

一度きりの人生、余すところなく使い切りたいと思う人がいれば
同志だ

今、コロナウィルスの混乱は深刻で
世界は大変な困難に直面している

一日も早く終結し、皆が健康な日常を取り戻せるよう
今の自分に出来る最善を尽くそう

テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ

2020年の始まり 民法改正
アメリカとイラクの戦争危機の報道で、2020年は幕を開けた。
オーストラリアの大規模な森林火災や
中国の新型肺炎の感染拡大。

次々と持ち上がる深刻な世界の状況に
五輪へ向け盛り上がりも一層になるはずが
さすがに不完全燃焼の状態である。

諸問題が早く終結することを願う日々が続く。

緑の星 地球

今年は4月1日に民法(債権法)の改正が施行される。
債権法は明治29 年に制定され、
以降約120 年間にわたり実質的な見直しがほとんど行われていなかった。

今回の改正では、
制定当時からの社会経済の変化へ対応すべく、実質的にルールを変更すると共に、
現在の裁判や取引の実務で当然の前提とされていた原則や、
これまで蓄積されてきた判例や解釈を法律の条文上も明確にし、
読み取りやすくしている。

今後世の中がデジタルに移行していくに従い、
将来的には更なる改正が行われるだろう。
元々法律の条文は平易ではなかった。
それどころか難解で酌み取り難く、片仮名だった時には百人一首のように癖が強かった。

と言いながら、
自分は密かにその難解なところに心惹かれていた面があった。
読むだけでは理解できずに辞書を引き、
判例を読み、七転八倒しながらひとつひとつ謎解きのように勉強した若かりし頃の思い出があるのである。

登記事項証明にもすっかり慣れた昨今だが、
実のところ、不動産登記簿は昔のバインダータイプの、しかも手書きの時代が好きだった。
不動産登記簿は、正に人にとっての戸籍の謄本のように、
時代毎の登記官がひとつずつ、その不動産の歴史を登記簿に刻んでゆく。
そこに何とも言えないロマンを感じていたのだ。

しかし、
これらは行き過ぎると
「昔は良かった」という年寄りの不毛な感傷になる。
実務の大変さはあれども、世の中にとって改正は大いに歓迎すべき事だ。

そして何より、
「120年間変わらなかった事が変わる」時代に、
我々は立ち会えたのだということに感動を覚えるのだった。
12月 師走 1年の終わりに
今年も残すところあと5日となった。

12月ならではの忙しさ、慌ただしさに
息つく暇もなく
日々が飛ぶように過ぎる。
師も走る12月とはよく言ったものだ。
街は音楽とイルミネーションで溢れ
人々が賑やかに忙しく行き交う。

そんな12月の、いわば「動」の部分の反面で

忙しさと緊張感が日毎に増すにつれ
生活から余分なものが削ぎ落とされ
それに伴い自身まで浄化されていくような心持ちになり
いろいろなことが見えてくる。

12月の「静」の部分とでもいったものか。
新しい年を迎えるにあたり
なんとも厳粛な気持ちになってゆくものである。

遥か昔に亡くなった自分の祖父は
57歳の時に倒れ、亡くなるまでの16年間寝たきりだった。

おぼろげな記憶の中で
父母や幼少の自分に、祖父が言葉にならない音で語りかけ
祖母が通訳してくれていた覚えがあるが、
できなくなったのか
それともあきらめてしまったのか
いつからか祖父は話すこともしなくなった。

祖父の16年間を今になって考える。
今日という日はあたり前ではなく
今日出逢える人もまた
かけがえのない今日を生きている

自身が今生きていること
相対している相手が今生きていること
共に働ける仲間がいること

すべてに感謝する。

雪だるま